顧問 櫻井 優司
顧問 櫻井優司 オフィシャルHP
事故ゼロの現場リーダー
ヒューマンエラーを防ぐ職場つくりなど
全国各地で講演会を行っています。
スポーツトレーナーとして痛みの軽減、回復のリハビリテーション
強化トレーニングとメンタルトレーニング指導
研修会事業も行っています。
http://yujisakurai.jp
スキーでの怪我をきっかけに、アメリカで体育学を専攻、トレーナー資格・救急救命法資格を取得し、帰国。 スポーツを通じ、心と身体の調和が大切ということの理解を広めるため、フィジカルだけでなくメンタルも重要なファクターということに注力した心 のトレーニングを実践。
独自のノウハウを駆使し、パーソナルトレーナーとして、アスリートを好成績に導いている。 現在はアメリカンフットボールチーム(関東社会人リーグ)・フォーミュラーカ ー・バイクレースの選手をサポート。 専門学校のスポーツリハビリテー ションの講師や全国の企業向けセミナー講師としても活躍。
それらの活動から、スポーツ選手の身体も一般の方の身体も同じよ うな条件で改善できるということを確信し、研究と開発を進め、リンパアクティベーションを考案。 様々な競技のアスリートをサポートした実績から得たデータに基づき、効率の良いストレッチを多用したリンパの流れを促進させるメソッド「リンパアクティベーション」は、美容と健康の維持にも有効と定評を得ている。
オリジナルメソッド誕生秘話
私はもともと、スキー選手でした。当時は、大回転の選手として、毎日のトレーニングに明け暮れていました。スポーツを続けていくには、道具の調達、遠征や合宿と、膨大な費用が必要になります。活動費用の捻出と練習時間の確保に苦しみながらも、楽しい時期でした。 明けても暮れても、効果的で効率の良いトレーニングをすること、時間を有意義に活用することばかりを考えていました。
その結果、東京出身のスキー選手では、異例の成果を認められ、長野県菅平に籍を移しました。夏は東京・冬は菅平と拠点を変えながらの選手活動でした。
人生の転機は突然やってきました
カナダのカルガリーでのトレーニング滑走中、コースを横切った他国の選手との接触により、転倒。膝の粉砕骨折、靱帯断裂におよぶ大怪我を負いました。
即、現地で膝の手術をすることになり、私の選手生命は絶たれました。身を切るような辛い事故でした。
ベッドの上で痛みと精神的苦痛に耐える日々が続きました。ある程度の時間が経過し、リハビリを受けられるまでに回復した頃、絶望するどころか、復活に執着心を抱いている自分に気付きました。辛かった事故をきっかけに、スポーツへの熱意、健康への執着がさらに湧いてきたのです。
その後、リハビリに関するメソッドとアメリカで出会うことになります。現在ではMedical rehabilitation of the injuly athleteの中で体系化されているリハビリテーションです。
リハビリテーションの日々
30年前のことですから、ストレッチング技術やリハビリ指導も模索中、研究段階だったように思われます。PTが数人でリハビリ指導するのですが、PTによって、手法や回数、負荷の掛け方に明らかな違いがありました。
私の場合は強化方式のPTが担当でした。同時期に同様、同程度の怪我で、入院・手術をしたアイスホッケーの選手がいました。
体重・体格は私より大きかった彼は、細いチューブで不可のかからないリハビリだけを行っていました。私はチューブエクササイズはわずかな期間のみ。一方、重いダンベルを地面に転がし、紐をつけ、下腿の回旋エクササイズを指導された私は、涙の出るような辛いリハビリを行っていました。
その横で、楽々とリハビリを行っていたホッケー選手の顔が今でも目に浮かびます。後になって考えれば、私が辛い思いをして、毎日行っていたリハビリメソッドこそが、回復を早め、運動機能の強化につながる手法でした。
救急法の資格を取得
アメリカから来たDr.Frederick O.Muellerから指導されたその特殊なリハビリテーションのおかげで、現在は、ランニングやスキーを楽しむことができ、選手とのトレーニングを行えるまでに回復しています。
現地でのリハビリ生活の合間に、メディックファーストエイドのスポーツメディシン救急法の資格を取得しました。自身がスキー選手として活躍できないなら、選手の役に立つポジションにつきたい、スポーツトレーナーという職業を意識してのことでした。そこで初めて選手の体に触れ、けがや事故に対応するノウハウを身につけることができました。
帰国後、メソッドが誕生
帰国後、トレーナーとして活動したいと夢を描いていました。が、様々な理由で、その夢はなかなか叶いませんでした。
思うようにならず悶々と生活していたある日、友人のつてで、英語のできるトレーナーを探していることを知り、自分のトレーニングメニューと応急処置の知識をプレゼンテーションする機会に恵まれました。
F-1レーサー向けのプログラムでした。
この二つをテーマに、試行錯誤を繰り返し、今までに無かった効率の良いストレッチを構築しました。リンパアクティベーションの元となったメソッドの誕生です。
その後は、口コミで、様々な種目のトップアスリートからの依頼を受けるようになりました。選手たちは、この特殊なストレッチの効果を不思議がりました。種目や体つきによってストレッチ方法を変え、回数の増減や位置を変化させることで対応してきました。
そんな中、選手の家族にもストレッチをして欲しいと相談を受けました。疲労回復、凝りの解消のため、体表面ではなくインナーマッスルと関節近くの筋肉へのアプローチすることを意識して行いました。強弱はあるものの、ほぼそのままの手技で対応しましたが、効果はしっかりと表れました。
スポーツ選手ではない方々までもが一様に、 「体が軽くなった」「すっきりした」と喜んでくれ、高評価を受けました。
関節や筋肉の動きに左右されるものと言えばリンパ管、関節近辺には、免疫力や、疲労物質の除去に大きく影響しているリンパ節が多く介在しています。これらを解剖学から理論づけ、リンパ液の働きや筋肉とリンパの関連性などを突き止めていきました。
これが、リンパアクティベーションの体系化へと繋がったのです。
現在、このメソッドを学びたいと全国から、受講の問い合わせをいただくようになりました。
また、一般の方々からは、「今までにない効果の高いマッサージ」だと高評価をいただいています。
自分の辛い経験からの学びが無駄ではなかった、人様のお役に立てることに繋がったと嬉しく思っています。
経歴
84年 | 菅平スキー学校講師 全日本スキー技術選手権総合10位 |
91年 | F-3000 ユニバーサルチーム 鈴木利男選手専属トレーナー |
93年 | F-1 ラルースランボルギーニ 鈴木利男選手専属 トレーナー |
94年 | グラナダ・ダカールラリー 川又 寛選手専属トレーナー |
95年 | SUZUKA8時間耐久レーストレーナー |
95年 | 関東社会人フットボールリーグX2 「バーバリアン」 チーフトレーナー |
96年 | フォーミュラーNIPPONセルモ 光貞秀俊選手専属 トレーナー |
96年 | 神奈川県立高校陸上部 アドバイザートレーナー |
98年 | パラリンピックチェアスキー 金メダリスト志鷹昌浩選手 フィジカルトレーナー |
98年 | 法政大学 スピードスケート部コーチ |
99年 | 東京スポーツレクリエーション専門学校 非常勤講師 |
02年 | 東京体育専門学校 非常勤講師 |
02年 | 太鼓集団 鼓童 フィジカルトレーナー |
02年 | 玉川大学 アメリカンフットボールトレーナー |
03年 | 成城学園成城学園ラグビー部 フィジカルトレーナー |
07年 | 帝京平成大学 講師 |
07年 | JAL国際救急法 訓練講師 |
08年 | リンパアクティベーション(旧リンパコンディショニング) 考案 |
09年 | リンパアクティベーション(旧リンパコンディショニング) 顧問就任 |
著書・人物紹介
アウトドア月刊誌『ガルビー』「人と自然が大好き」 |
野外教育情報「チェアスキーのトレーニング」(日本教育科学研究所) |
アスレチックトレーニングの実際(南江堂) |
NHK教育テレビ タオルエクササイズ 監修 |
西東京市 生き生き体操 監修 |
北海道 福島町 「横綱体操」監修 |
資格
全日本スキー連盟指導員・B級検定員 |
救急蘇生法・MFAメデックファーストエイド指導員 |
カヤックカヌー指導員・ネイチャーゲームB級指導員 |
NATAアスレチックエマージェンシー認定 |
NFLコーチングアカデミー修了 |